八王子FM「辰巳琢郎の一緒に飲まない?」2019年8月1日放送分

今回のゲストは山梨県勝沼の老舗ワイナリー、来年130周年を迎える丸藤葡萄酒工業4代目の大村春夫代表です。
氏の父上と日本のワインブドウ交配王、川上善兵衛氏、また氏と現代日本ワインの父、麻井宇助氏の交流は、さながら日本ワインの歴史の教科書を読んでいるかのようです。
時折飛び出す可愛い甲州弁も併せてお楽しみください(全2回、前編)

辰巳:今回のお客様は、丸藤葡萄酒、ん、正式名称はなんでしたっけ?

大村:丸藤葡萄酒「工業」がつきますね

辰巳:(もとい)丸藤葡萄酒工業、ワイン名でいうと「ルバイヤート」という商品として有名です。こちらの社長、大村春夫さんにお越しいただきました。

辰巳・大村:こんにちは!

辰巳:いやぁ嬉しいです

大村:ありがとうございます

辰巳:日本ワイン界の重鎮ですからね。おいくつになられました?

大村:68になりました。確かに重鎮と言われてもおかしくない歳になりましたね。

辰巳:体重は?(←なぜこの質問?)

大村:70kgくらいですかね(←でも真面目に答えてくださる)

辰巳:痩せました?

大村:若干

辰巳:弟さんがちょっとお太りに?

大村:そうですね、彼のほうが太ってますね

辰巳:弟さんは東京(神楽坂)で*お店をやっていらしゃるんですよね。(*神楽坂ルバイヤート:直営レストラン)
ワイナリーの方は明治23年から、1890年!来年で・・・

大村:130周年ですね

辰巳:すごいです!大村さんは4代目?

大村:そうです。ひいおじいちゃんの代から会社は始まってるんです。僕の5代前の、高祖父っていうらしいんですけど、
その5代前が実はメルシャンの創業時に関わってる。大日本山梨葡萄酒の出資者の一人に名を連ねてるんですね。

辰巳:メルシャンじゃなしにメルシャンの前身?

大村:メルシャンの前身の前身ぐらいですね。勝沼の二人の青年がフランスのトロワってとこに行くんです。
前田正名って人に連れて行かれて研修するわけなんですけど、その時に組織を株式会社にしないと連れていけないって話になって、
祝村(現在のメルシャンの所在地)の何人かに声かけた中に5代前のじぃさんも(金はなかっただろうけども)出資してるんですね、一口。
蒼龍(葡萄酒)さんの先代も寄付してた。当時山梨県の知事だった藤村紫朗って人も出資してたことから
伊東博文とか大久保利通みたいな明治の近代化を急いだ人たちに、「山梨にはブドウががあるんだから、そこ磨け」っていうことになったと思うんですよね。

辰巳:日本ワインの黎明期

大村:そうですねー

辰巳:その頃から関わっていらっしゃった!名門中の名門ですよね、そういう意味では

大村:名門ではないですけど。まぁのんびりやってます笑

辰巳:ブドウ農家だったわけですか?

大村:もともと地主だったらしいですよ。桑があって養蚕をやってたんですがだんだん衰退していって果樹に移ってきて、ブドウになったんです。
昔のことですから、こっちの草を取って今度はあっちの畑の草、と順番に草取りしてたら最初の畑にまた草が生えてたっていうような話をよく聞かされました、うちのおっかさんから笑

辰巳:明治時代、西洋の文化が入ってきて、富国強兵殖産興業って感じでね、とにかくワインを造ろうという動きが山梨を中心に起きまして。今の日本ワインの本当に源流ですよねー

大村:ま、メルシャンさんが日本で一番古いんですけど、、、

辰巳:メルシャンとまるきさんと、、、

大村:まるきさんはね、直系で繋がってるわけじゃないんです。(まるきさんの言ってることからすると)私たちがまるきさんの1年前、うちより5年前がルミエールさんなんです。
昔甲州園さん(現ルミエール)て言ってましたけど。うちは1890年で、たまたま同じ年が岩の原ブドウ園(新潟県)。
川上善兵衛さんの畑(今サントリーさんの傘下になりましたけど)とうちが同じ年にスタートしたんです。
だからうちの親父が川上善兵衛と一緒に写ってる写真ってのがあるんですよ。善兵衛さんが勝沼に来た時に集合写真の中にうちの親父が入ってる。
僕はまだ影もない頃だけど笑。細身の人だったですよ、善兵衛さん。
豪農だったけど身上潰してマスカット・ベーリーAを交配して。僕らにとっては頭が上がらない人の一人ですよね。

辰巳:頭が上がらない・・・我々からしたら歴史上の人物なんですけど笑

大村:マスカット・ベーリーAの生みの親ですからねー。赤ワインの中では(日本では)一番造られている品種だと思いますよ

辰巳:いま日本ワインの歴史を勉強してるような、日本ワイン好きには堪えられない話ですよね笑。
こういう話聞くとどんどんワインが飲みたくなってくる。ここからはワイン飲みながらお話し続けたいと思います

大村:ぜひぜひ!

(ワイン登場)

ルバイヤート ソーヴィニヨン・ブラン 2018

辰巳:今日は白ワインをお持ちいただきました!甲州かな!?っと思ったら違うんですよねー

大村:これはソーヴィニョン・ブランっちゅワインでですねー。
勝沼って標高400mくらいあるんですよ。

辰巳:思ったより高いんですよね

大村:本来はもっと涼しい場所で造ったほうがいい。今長野県の北信とかでメルシャンさんやマンズさんがソーヴィニョン・ブランのいいやつ造ってますけど、
我々のところはそっからはだいぶ低くなるので、温暖化のこともあってソーヴィニョン・ブランを勝沼で造っていいのか!?っちゅ話ですけど、僕はどうしてもやりたかった。
ということで、今垣根でもやってますし棚でもやってるんですけど。2018年は比較的よくできたと思います。

辰巳:2018年ルバイヤート ソーヴィニョン・ブランですね

大村:ソーヴィニョン・ブランというのは実は大変なブドウで、果汁の中にタンパクが多いんですよ。
そのタンパクが、コルクを打つと(打つことによってコルクが絞られると)7~10%あるコルクの渋い水分の成分がタンパクと結合するんですよ。
そうすると白濁してしまう。それで除タンパクってことをしなきゃいけないんです。
その除タンパクは、ベントナイトっていう粘土の一種(女性のファンデーションにも入っている)を使うんですけど、入れすぎちゃうと香りが取れちゃう、でも入れなきゃ濁る、、、。
散々悩んだ末に去年ベントナイトを100ppm追加したんですよ。香りが取れちゃ困るんだけれども、濁るよりいい(マシ)と。

辰巳:最近ね、濁りワインとかどんどん出てきてますけど?

大村:いやぁ、僕は困ったもんだと思ってますよ、爆

辰巳:いろんな好みがあっていいと思いますけど、濁りワインばっかり造る人から、ゼッッタイに濁ったのはヤダというこの幅が面白いと思うんですけどねー

大村:濾過器買えよ!っていつも言うんですけど笑笑

辰巳:あえて濁りがいいんだー、流行りだーって濁りばっかり飲む人も増えてますし、それはそれでね、ワインってのは嗜好品だからそれでいいと思うし

大村:まぁいろいろは言いませんけど、僕はちゃんと、澄んだワインを出したい。
(話戻します)
で、ソーヴィニョン・ブランっていうブドウは特殊なブドウで、前駆物質っていうんですけど、香りが2つくっついててこれが離れないと香りが出てこないんですよ。
ボルドー液という消毒液には銅イオンが入っているので、(ボルドー液を)介在すると離れないんです。もう一つは空気に触れると離れない。
そしてもう一つは、結合している2つを”切る”力強い酵母を入れるとこれが離れて香りが香ってくるっちゅこの3つが揃って初めて・・・

辰巳:ものすごい難しいお話をされてますが、なんか学者のような。

大村:ソーヴィニョン・ブランの典型的な香りを出すためにはボルドー液を噴霧しちゃいけない、空気に触れちゃいけない、
前駆物質を切り離す酵母が必要だったのに10年ぐらい僕は逆のことやってたんですね。

辰巳:メルシャンさんがきいろ香の時に・・・

大村:はいはい、あれは甲州ですけど。確か2004年だったかな。
甲州がソーヴィニョン・ブランと同じ香りがするってことがやっとわかってきて、僕らは今回同じことをやった

辰巳:甲州だけでなしにソーヴィニョン・ブランに関しても、例えばノンボルドー(ボルドー液を噴霧しない)とか

大村:だから僕らもシャルドネはボルドー液撒きますけど、ソーヴィニョン・ブランにはかけないようにしてます

辰巳:そろそろ喉が乾いてきたんで、このソーヴィニョン・ブラン、ルバイヤートの2018年を飲んでみたいと思います。
んーーー、この柑橘系の香りがソーヴィニョンの特徴ですけどね。
海外にもいろいろ行っていろんな産地を見てきて、それを生かそうという動きが日本でも続いているわけですけれども

大村:メーカーの若者が海外に派遣されて現場を見てきて、飛躍的に日本のワインは向上したと思いますよ

辰巳:大村さんが若い頃はまだまだね「日本ワインなんて飲めたもんじゃない」なんてボロクソに言われてた時代ですよね

大村:昭和49年と50年に醸造試験場ってとこで勉強してたんですけど、その当時の日本人のワインの年間消費量は牛乳瓶1本、200ccだったんですよ。

辰巳:年間!?!?

大村:そうですよ。当時僕は高円寺ってとこに下宿してて、新宿を通って山手線で駒込?(おそらく田端)まで行って京浜東北で王子まで(当時は北区滝野川にあった国立醸造試験場)
1週間くらい通ってたんですけど、毎日新宿の駅で人と肩が擦れ合うような混雑じゃないですか。
その時にね、いつも「この連中がハーフ瓶1本飲んでくれたらなぁ」って思いながら通ってたんですよ。

辰巳:ワイナリーの息子として生まれて、最初からこの道で行くんだ、家を継ぐんだ気持ちはあったんですか?

大村:ありましたね。兄貴がいて僕がいて弟がいて、一番上がアネさんなんですけど。
兄貴が英才教育を受けて、パンツのゴムが伸び切っちゃって失速しちゃったんですよ笑。
僕は次男坊でそれを見てたし親父が病弱だったこともあって「ちょっと手伝わなきゃいかん」と。畑も広かったし、親父がいち早く新しいことを取り入れるんですよ。
例えば、昔のブドウ棚の杭は木だったんですけど、親父はコンクリートの杭を導入するわけですよ。そうすると近所から笑われたっちゅらしいんです。
「コンクリートが折れたら燃し木にもならん(*燃し木:風呂を沸かす薪。この地方の方言で’燃やす’ことを’もす’というところからきてます)」と。
親父はどうして導入したかっていうと、台風が来た時にコンクリートの方が’強いので、太い針金と針金が交差するところに立ててったんですね、七尺間っていって2mちょい間隔で。
それとか、草を刈る道具もいち早く導入したのでみんなが見にきたっちゅ話も聞かされたりしました。
目新しいことが好きで、農薬も手散布でやってた時代にSSっていう農薬を撒く機械を導入するんですよ、自分が運転できもしないくせに。僕は中学の頃からそれを運転させられた。

辰巳:中学生の頃ってまだ免許・・・

大村:畑の中はいいんですよ、無免許でも笑。そう時代だったんです。
それでうちの兄貴が何もやらないもんだからー、ほら、英才教育で国立の中学校みたいなとこ行ってパンツのゴムが伸びきっちゃった。マジメだったんですよ。

辰巳:ん?英才教育ってワイン造りではなしに?

大村:いや、普通の学問の教育の話です。だから兄貴がやらないんだったら僕がやらなきゃってことになったんですよ。
うちの兄貴には夢があって”船乗りになりたい”とかって言ってましたからね笑
船乗りになったはなったんですけど、結局諦めて帰ってきて親父たちも喜んだ。今はうちのブドウ栽培をやってます。

辰巳:へ?そうなんですか?それは知りませんでした

大村:彼は食用のブドウをやってるんです。毛利元就みたいな教えがあってー”三本の矢”っちゅことを親父がよく言ってましたよ。
いみじくもそうなったんですけど「兄貴がブドウを造り、僕がワインを造り、弟がワインを販売する(レストラン経営)」。
まぁその通りにはなってますけど、その上下は俺が見ている、みたいなところがあって。結局次男坊が苦労を背負うんですよ笑
でもね、兄貴はあまりお金のこと言わないのですごく助かってるし、
弟もあんな感じだから(神楽坂のレストランに行けばわかります)なかなか面白い連中だなと思いながら頑張ってやってますけどね。

辰巳:後継は?

大村:今一緒に仕事してるうちの長男坊。卒業してマンズワインさんに3年間預かってもらってたんですよ。
そのマンズさんの前代(当時の本家常務、茂木七左衛門)が「これからワインの時代が来る」って60年前くらいに言ってたんです。
そして「マンズワイン」を設立するんですけど、その前に勝沼洋酒っていうワイナリーを起こしてその時に(大村さんの)親父が取締役をやってたんですよ。
ある日先方から’お金がもらえる’という趣旨の茶封筒が届いた。マンズの敷地で卓球なんかやってた(大村)少年は子供心に’なんで?’って思ったもんです。
でも未だに関係は続いているし、そういう意味では親父に感謝してますね。

辰巳:その茶封筒が気になります笑

大村:このぐらいの、いわゆる定型のデカイ方の。に、なんか役員報酬(現金)ってのが入ってくるんですよ

(そういう時代でした)

大村:本当に恵まれてるのは親父がサントリーさんともメルシャンさんともマンズさんともサッポロさんとも付き合いがあって、そういう意味では僕はどこでも出入り自由。
それは本当にありがたい、当時は特にね。今の時代は麻井さんのおかげでどこも仲良いですけどね。メルシャンの麻井宇助さんの功績はすごいデカイですよ。
「メルシャン1社だけよくてもダメだよ、みんなが良くならないと産地勝沼が活性化されない」って彼は70年代に言ってたんです。
この7月にボルドーに行ったんですけど、その時に実はどうしても行きたいワイナリーがあったんです。
麻井さんが70年代にお中元・お歳暮用のワイン(カベルネ・セミヨン)を探してこいとの指令が当時の上司からあった。
ところが技術者でもある麻井さんは現地で「ほとんど酸化してる」と(当時のワインの状況を)わかってしまうんです。
そんな中「アンドレ・リュリュトン」っていう蔵に行った時にソーヴィニョン・ブランですごい溌剌としたワインを飲んだって聞いてたもので、今回どうしてもここに行きたくて。
新しくボルドーにできたミュージアムと、このアンドレ・リュリュトンだけは行かなければと。
彼は他にいくつかシャトーを持ってて、ラ・ルヴィエールという蔵を見せてもらって、長年の想いがかなった!
(ついで!?にフューザルとかシュヴァリエとかキルヴァンとかタルボとか見てきたらしいです)。
どこも設備投資に金かけてて口々に「投資しないと置いてかれちゃう」ってなことを言ってましたね。

辰巳:まぁぁぁ、難しい話ですよね。ワインってのは家内制手工業みたいなものから大資本が入ってきてね、いろんなワイナリーがありますけども、、、

大村:家族経営でやってるっちゅよりも、オーナーがどんどん変わったりするわけですよ、ボルドーはデカイですから。
1983年にサントリーさんもラグランジェを買って、傾いてたシャトーを立て直しましたけど、
そのサントリーさんでさえ設備投資しないと生き残れないってなことを言ってましたよね。

辰巳:だんだん大変な時代にはなってきましたけど。ライバルではあるけれども小さな市場の日本ワインをどうやって盛り上げていこうか?仲良くやっていこうか・・・

大村:この20年くらいですよね。海外の情報だとか、海外に留学して帰ってきた連中とか、
あるいは山本博氏(弁護士、旧日本ワインを愛する会会長)や辰巳さんから情報発信っちゅことをしてもらったじゃないですか?
それで(日本のワインが)切磋琢磨して、美味しくなったと思いますよ、確かに。
それで国内で評価されるようになってきて、ここにきて(第1次から7次?8次?までブームはあったけれど)もうブームなんて言わなくなったよね、ありがたい。
それぞれが個性的に、日本ワインを頑張ってやっていこうっちゅことで、まぁいい時代っちゃいい時代ですよね

辰巳:今日は専門用語が飛び交いましたね。その中で麻井宇介さんってね、(本名)浅井昭吾さんというメルシャンの醸造家の物語が去年「ウスケボーイズ」という映画になりました。
今まで極一部の人しか知らなかった名前も、こうやって知られていくっていいのもいいことですし。
おそらく今も昔も’勝沼’っていうのはワイン産業の中心であり続けるでしょう。
その中の中心人物のお一人にお話を伺いました。また次回よろしくお願いします!

大村:お願いします!

次回に続く

News Data

八王子FM「辰巳琢郎の一緒に飲まない?」

2019年8月1日放送分

ワイナリー

丸藤葡萄酒工業株式会社(http://www.rubaiyat.jp)
明治23年、山梨県勝沼で創業した老舗ワイナリー。ブランド名は「ルバイヤート」。
甲州種の造り手として名を馳せるが、近年ではシャルドネやプティ・ヴェルドなどの欧州系品種でも高い評価を得ている。
平成元年から始まった蔵コン(ワイナリーでのコンサート)も名物。

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