八王子FM「辰巳琢郎の一緒に飲まない?」2019年7月4日放送分

八王子FM
「辰巳琢郎の一緒に飲まない?」
2019年7月4日放送分

ゲスト:小山英明さん(株式会社リュードヴァン 代表取締役)
「日本のワインを愛する会」初のワイナリーツアーに合わせて収録は長野駅前のホテルメトロポリタンから。
ゲストはお膝元、東御市のワイナリー、リュードヴァン代表小山英明さんです。
大学受験の挫折(?)から少々遅咲きのワイン業界デビューまで、辰巳琢郎とのほろ酔いトークでお届けします!

辰巳:今回のお客様は長野県東御市のワイナリー「リュー・ド・ヴァン」の小山英明さんです!

辰巳・小山:よろしくお願いします!

辰巳:ちょっと、こんなに改まってしゃべるのもどうかなって感じもしますけど笑
今日はね、「日本のワインを愛する会」の第1回のワイナリーツアーで、昼間は(長野県の)高山村をずっと回ってきまして。
山を降りてきて長野駅前のホテルメトロポリタンでのワイン会後の今、ラジオを収録しているわけですけど。。。
ちょっと私酔っ払っております笑

小山:はい、ダイジョブでーす笑

辰巳:小山さんもだいぶ飲みました?

小山:僕も今日は飲みましたよ笑
(ワイン会はラジオ収録の隣の部屋でした)

辰巳:ちょっと今日はほろ酔い加減の放送になるかもしれませんが、最後までお楽しみ頂ければと思います
小山さんは、もともとどこの方でしたっけ?

小山:一応千葉県出身と言っています。ただ生まれは東京で、7つになるときに千葉に越して29歳までいたので、文化的にはバリバリ千葉県民です笑

辰巳:今おいくつですか?

小山:51です

辰巳:もうそんなになっちゃいましたー?笑

小山:はい、この業界もう21年いますのでね

辰巳:ということはこの業界入ったのがわりと遅かった?

小山:そうですね、30になるかならないかのギリギリのところで。
もう僕の中で、全くの異業種への転職っていう意味ではタイムリミットだと思ってました

辰巳:そういうとこいろいろ掘り下げたいな。30歳で人生変えたわけですね?それまでは何を?

小山:それまでは電機メーカーでエンジニアやてたんですけど

辰巳:理系の人?

小山:はいそうです。エンジニアっていうとかっこいいですけどね、20代前半から後半までやって、まぁようやくエンジニアになったぐらいじゃないですか

辰巳:大学では?

小山:情報工学をやってました。当時コンピューターを学べるっていう学校がでたばっかりの頃ですね。
で、コンピューター業界に(一応)入ったんですけど、大学4年間で「なんかコンピューター向いてねぇな」っていうことがよくわかりました笑

辰巳:大学で向いてないなとわかったのに、就職はそっちの方に行ってしまった?

小山:メーカーが、そういう人材(コンピューターが扱える人間)として雇い入れるわけですよね。
でもずいぶん争いて、もっと農業試験場みたいなとこに行けないのかとか、、、

辰巳:農業試験場!!??

小山:そうなんですよ、そんなとこで品種改良とかやりたいなとか笑
もともと農芸化学とかそういうのやりたかったんですよ

辰巳:だったら最初からそういうとこで勉強すればよかったじゃないですか!

小山:なかなか思った大学に行けなくて、滑り止めでいくつか引っかかったところが工学系と農獣医学、、、

辰巳:初めて聞く話ですよ驚

小山:辰巳さんからすると(思った学部に行けないなんて)あまり縁のない話かもしれませんけど笑
(物理学を専攻してたので)どうしても工学系の学部しか選択肢がなかったんです。
ちょうど僕らが大学行ってる頃ってバブルだったので”理系に行けば就職いいぞ””生物学学んでもなかなか就職先ないよ”ってな時代だったんですね。
(まんまとそれに乗っかったけれど)やっぱり自然と触れ合う勉強がしたいなぁって、
物理学の中でもそういうことができる学部を探しまくって受かったところが農獣医と最終的に入った所。
まぁあんまり遠い学校だと親にも迷惑がかかっちゃうんで。
(小山青年妥協しました)

辰巳:ちなみに農獣医はどこだったんですか?

小山:あれは神奈川ですね
ま、地元で通えるってことで千葉の新しい学校(情報工学)へ。そして大手電機メーカーへ。。。

辰巳:大手電機メーカーって?

小山:日立製作所がらみ、設計をメインにやってる会社です

辰巳:超一流企業じゃないですか

小山:ま、そこで7年ぐらいがんばりました。
ワインはですね、大学の時に出会いました。
僕らが成人した頃ってスーパーやコンビニでワインが売ってないし、赤ワインブームが来る前だったんですけど。

辰巳:ぇ、オレらの時代は、京都でスーパーに一升瓶ワインのコーナーがあって飲んでましたけどね

小山:笑。バカな大学生だからいっぱい飲むわけですよ。成人になるとともにありとあらゆるお酒を飲んでましたけど、
”ワイン”というものだけがなくて。ところがひょんなきっかけからワインを飲む機会に恵まれた。
初めて飲んだのが南フランス、ローヌの赤ワインでした。
ま、今だから(そのワインは)グルナッシュ主体のいいワインだったってのがわかるんですけど、それ飲んで衝撃が走ったわけですよ。
酸味があって渋みがあって甘みがあってフラワリーで果実味があって、、、そんなお酒は今までにであったことがなかった。

辰巳:シラーじゃなしにグルナッシュ系だったんですね?

小山:かなり良質なグルナッシュですね、ピノ・ノワールがもっと華やかになったような。そんなものと出会ってしまって、そっからワインの探求が始まって。
電機メーカーではそこそこのお給料ももらってるし、休みもあるし。
金曜日になると会社帰りにワインショップ行って「今夜飲むワインどれにしようかなー」って1時間ぐらいセラーで悩んで、買って飲んで、週末はレストラン行って飲んでみたいな。

辰巳:なるほど、そこそこ優雅な生活

小山:してました、当時は

辰巳:田崎真也さんが世界一になったあたりですか?

小山:もうちょい前ですね。僕がワイン業界に入るちょと前に田崎さんが世界一になられて赤ワインブームが来て、
チェーン店の居酒屋とかでもワインが並ぶようになった。これが27とか28歳の時です。

辰巳:ちょっと飲みながら話しません?

ワイン登場

Rue de Vin Vin Mousseux ESPRIT

辰巳:これはー、スパークリングワインですか?

小山:そうです、シャルドネ主体でピノ・ノワールが25%入ってます

辰巳:前からありましたっけ?

小山:あります!創業の時は真っ先にこれを。

(小山さんが抜栓します)

辰巳:音、しますかね
小山:少しさせましょうか

(ポン!といういい音)

辰巳:この音聞くとヨダレが出るんですよね笑

慎重にワイヤーを外す小山さん

(今度はスパークリングを注ぐ時のシュワシュワとしたいい音)

小山:実はワイナリーができた2010年のキュヴェ(原酒)は全部このスパークリングワインにしてしまったんです。
だから2010年は欠番なんですよ

辰巳:そうですか。ワイナリーは2010年からだけど、ブドウはもう少し前から?

小山:2006年からシャルドネを植えてます

辰巳:それまで別のワイナリーに委託醸造されてましたよね?どこでしたっけ?

小山:玉村(豊男)さんのところ(ヴィラデストワイナリー)です

辰巳:で、ご自分のワイナリーができてその年から始められたと。

小山:はい

辰巳・小山:ではカンパイ!!!

辰巳:あぁぁぁぁ。なんというかな、華やかな、しっかりとした果実味、ブリオッシュとか、焼いたクッキーとかまずそんな印象が飛び込んできますね。
ちょっとバターの焦げたような香りも入ってますしかなり複雑性がありますよね

小山:あえてリッチなスタイルに仕上げてます

辰巳:何年ですか?

小山:これね、ノンヴィンテージなんですけど、原酒でいうと
2011、2012、2013、その辺が混ざってます

辰巳:これすごいワインですね。なかなか、なかなか、、、
日本のワインをずっと応援してて、いろんなワイン、スパークリングもたくさん飲みますが、
これ、いい意味でも悪い意味でも日本離れした違う世界のワインって感じがしますよね

小山:はい笑

辰巳:本当にこういうワインが好きなんですね

小山:これには理由がありまして笑。
この業界入る前からワインを嗜んでるんですけど、ボクらの飲み方ってね、フランスのワインの生産者やその地域の人たちの暮らしのあり方とはすごくかけ離れてる。
彼らは文化として、ワインと豊かに暮らしている。っていうことを知れば知るほど憧れの世界が広がるんですね。
だから電機メーカーでの仕事っていうのがしっくりこなくなる。そこそこしっかり仕事をして成果を上げてはいたんですけれども、やっぱり一生続けるしとごじゃないなと思ったんですね。
そんな時に、僕の好きなワインを造ってる彼の地のような人たちの暮らしがしたいと。
「ボクが造ったワインみてください、いいでしょう?」とかそういうことじゃなくって、そういう環境に身を置いて暮らしたかった。

辰巳:それは海外で体験してきたとかじゃなしに?

小山:じゃないです。もうほんっとにワインが好きで好きで飲んで飲んでいろんなことを調べて、
そういう中で「シャトーどこどこの何年もの持ってるんだけどいつ開けようかなー」なんていう飲み方じゃなくて”暮らしの中にワインとともに生活してる”。
彼らの暮らしは豊かだ、そういう暮らしがしたい、、、

辰巳:なるほど、そういう暮らしがしてみたいか。ワインを造りたいってよりもワインが身近にある暮らしを、そういう人生を送りたいと?そっちなんですね

小山:それでこの業界に「多分違うだろうな、日本ではな」と思いながらも「まぁとにかく潜り込んでみよう」と思ったのが29の時です

辰巳;あ、そうですか。で、最初はあづみアップルさんでしたっけ?

小山:いえ、最初は山梨のメーカーに5年弱ぐらい。求人があったので。
そこでは、例えばこれだけのブドウを潰して仕込むとどれだけの人足がいるのかどれだけの機械の能力がいるのかとか、酒税の申告の仕方などいろんなことは学べました。
だけれど僕が思い描いた暮らしは残念ながらそこにはなかった。そんな時に長野県のワイン、ちょうど2000年ヴィンテージぐらいの北信のシャルドネや塩尻のメルローを初めて口にして
「あーこれは僕が昔飲んでたヨーロッパのワインと同じベクトルを向いてるワインだ。長野でも造れてるんだ!?
これはもう長野行くしかない」って長野来て。ここでも「どこでもいいや、潜りこめりゃ」でした。

辰巳:そんなに山梨と長野は違ってた?

小山:違いましたね。産業のあり方としてはあんまり変わりはないです。
ただ、いいブドウを造っている、ヴィニフェラのいいブドウを造っている、ということでは当時長野の方が先をいってましたね。

辰巳:だんだん難しくなってきましたね。ヴィニフェラというのは’ヴィティス・ヴィニフェラ’というヨーロッパ品種。
日本に入ってきてるフランス系ヴィティス・ヴィニフェラでいちばん多いのがシャルドネかな。
他メルロー、カベルネ・ソーヴィニョン、ピノ・ノワール、、、その辺りが代表的な品種ですね。
で、サラリーマン時代にフランス系のヴィニフェラをいっぱい飲んでて、その記憶での座標軸が自分(小山さん)の中でもうできてた?

小山:僕の食生活の中にワインがしっかり組み込まれていたので、
食べることと飲むことがイコールだった

辰巳:自分でそういう風に感じたんですか?あるいは誰か師匠とか、教えてくれる人がいたとか?
彼女がスッチーで(古いですよ)ワイン教えてもらったとか、けっこうそういう人多いんですけどね笑

小山:僕はワイン造りとかワインの飲み方は誰にも習ったことないです。
山梨のワイナリーいた時も、人足としては一生懸命働きましたけど’手伝い’(の範疇)ですし。関わってはいたけども、僕の仕込んだワインではなかったです。
この後長野県のワインメーカーに入って、運よく契約栽培ですけどいいブドウに恵まれたのが大きかった。

辰巳:それがあづみアップルなんですね?

小山:そうです。そこではやりたいことすべて投入して。

辰巳:はー、じゃそこである程度任されたんですか?

小山:そうです

辰巳:「山梨で経験も積んできて、風貌とか喋ってることも一人前だし任してもいいんじゃないか」っていうオーラを持ってたってことですね?笑

小山:そこに推薦してくれる方もいたのでね。今サンサンワイナリーっていうのをやってる戸川さん。
僕は彼に引っ張ってきてもらったんですよ。その戸川さんの元でもっとアカデミックなワイン造りがしたいと。

辰巳:その時(戸川さんは)まだマンズにいた頃ですか?

小山:いや、もう退職されて後に信濃ワインに行かれるんですけどその前の前の時に声をかけられました笑

辰巳:戸川さんってなんて言ったらいいのかなぁ、ワイン界の重鎮、大ベテラン。
今塩尻にご自分のワイナリー”サンサンワイナリー”を立ち上げて山の上の方に素晴らしい畑を持ってらっしゃいますよね。戸川さん、もう80近いくらい?

小山:もうそのくらいになるんじゃないですかねぇ。で、僕は彼に引っ張ってもらったんですけど戸川さんとは一緒にブドウ潰してないんですよ。
長野で最初に入ったワイナリーで彼は(僕が入って)半年でいなくなってしまって。それならボクもいる意味ないやって思って辞めました

辰巳:ぇw、辞めちゃったんですか!?

小山:辞めましたよ、半年で

辰巳:それはあづみアップルでなしに?

小山:ではなくて。あるんですよ、あづみアップルの前にもうワンステップが

辰巳:どこですか?

小山:安曇野ワインって会社です

辰巳:あ、あそこにいたんですか!?

小山:あそこに僕は半年、戸川さんは2年ぐらいいたんですよ。で、イキのいい技術者必要だってんで引っ張ってもらったんです。
やっとアカデミックにちゃんとローヌ的なワインが学べるなぁと思ったところで半年で(辞めた)笑。だって戸川さんいないんだったらいる意味ないですもん。

辰巳:戸川さんはまた別のとこ行っちゃったんですね?

小山:そのあと信濃ワインですね。
彼もいろいろ責任感じてくれたんでしょうねぇ。(僕のために)いろんなところに口利いてくれて。
たまたま息のあった醸造長があづみアップルだったんです。それが2003年の話。そこで僕がソーヴィニョン・ブラン仕込んで。

辰巳:(あづみアップルの)伝説のソーヴィニョン・ブランは2002年でしたけどね。
日本で初めてソーヴィニョン・ブランが評価されたヴィンテージ

小山:2002年のブドウを2003年に入ってまず僕が仕上げてリリースして。

辰巳:(2002年の)醸造の時はいなかったの?

小山:いなかったですよ。(2002年は)いいロットと悪いロットといろいろあったんですけど、なんとかいい状態で出して。
その後2003年と2004年のヴィンテージの一部を僕が担当しました。だから2003年はすべて僕が造ったヴィンテージです。

辰巳:じゃほとんど2年くらいしかいなかったんですね?そのあと独立?

小山:はい

辰巳:あ、そういうことなんですね

小山:(あづみアップルでは)いいブドウに恵まれて、定年退職までここでワインとともに暮らせると思ったんですけど、それはすぐに難しいなってわかりました。
なぜかっていうと契約農家さんがソーヴィニョン・ブラン、シャルドネ造ってるんですけど、当時の2.7haの1枚畑、もう樹齢20年で。長野って恐ろしいとこだなぁと思ったわけですよ。
こんないいブドウでワイン造ったらどうなってしまうんだろう?と思ったらゾクゾクして笑
だけどもたかだか2.7ha、広いっていったら広いですけど、そこに十数名の生産者がひしめき合ってるんですよ。
ってことは一人当たりちょっとしか造ってない。ちょっとしか造ってないからみんな威信にかけてキレイなブドウを造る、キレイなブドウを造るからいいワインになって当然なんですよ。
でもそのキレイなブドウがものすごい安い値段で買い叩かれてる。このままでは産業にはならない。割に合わない仕事だからみんな高齢化していってる。

辰巳:なるほどー。きちんと現状分析して問題意識を持ってワイン造りに携わってきたという・・・

小山:「暮らしとしてのワイン造り」を目指しているのに、こんなに割りが合わなければ跡取りもいなくなる。ブドウ栽培も成り立たなくなる。

辰巳:ちょっとね、ものすごく面白い話になってきました。今回は時間いっぱいになってしまいました。
リュー・ド・ヴァンとして独立された後の話は次回!お送りしたいと思います。
今日はどうもありがとうございました!

小山:はい、ありがとうございました!

ほろ酔いながらも、話は徐々に核心に。続きは次回!

株式会社リュードヴァン
2010年、長野県東御市に創業。30haの畑はヨーロッパ系ブドウ用品種にこだわり
シャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、メルロー、カベルネ・ソーヴィニョン、ピノ・ノワールなどが栽培されている。
ワイナリーにはワインショップ、カフェも併設。
http://ruedevin.jp

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八王子FM「辰巳琢郎の一緒に飲まない?」

2019年7月4日放送分

ワイナリー

株式会社リュードヴァン
2010年、長野県東御市に創業。30haの畑はヨーロッパ系ブドウ用品種にこだわり
シャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、メルロー、カベルネ・ソーヴィニョン、ピノ・ノワールなどが栽培されている。
ワイナリーにはワインショップ、カフェも併設。
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