ゲスト:川邉久之さん(高畠ワイナリー取締役 製造部長)
前回に続きゲストは高畠ワイナリーの川邊さん。2回目はロン毛の大学時代からさらに遡った名古屋での少年時代、この道に入るきっかけとなった1冊の本から話は思わぬ方向に飛び火して男子トークに。今回も「人に歴史あり」なエピソードがてんこ盛りです。
辰巳:今回のゲストは前回に続きまして高畠ワイナリーの製造部長、川邉久之さんです
川邉:改めまして、よろしくお願いします!
辰巳:川邉の’邉’がちょっと難しいですね。いろんな’べ’があるんですけど、これを頑固に使ってるんですよね?
川邉:どうも明治の頃に名前を(役所に)届ける時に、各自が記憶に残っている字をいろいろ届けたらしいんです。間違った字でもそのまま登録されちゃったからそういう字になってしまった。と聞いてるんですけど。
辰巳:生まれ、育ちはどこなんですか?
川邉:生まれも育ちも名古屋です。高校だけはちょっと郊外だったんですけど。
辰巳:郊外?なかなか悪いことしてたんじゃないですか(笑)?
川邉:父親が分譲の抽選に当たってですね(笑)マイホーム建てて、小学校の頃一軒家に引っ越したんですよ。
辰巳:優秀ですねー、小学校の時に一軒家なんて!
川邉:お父さんですよ、私が建てたわけじゃない(笑)
辰巳:どんな子供でした?
川邉:まぁある意味ひねた子で(笑)。愛知県ですから高校まではだいたい同級生は、勉強して学校へ行って60~70%はトヨタ系の企業に入るんですね。小学校の頃からものづくりに傾倒させるように工場見学とかするもんですから、必然的にオートバイや車に興味を持つようになるんです。
辰巳:学校がそういうことを!?
川邉:はい。今考えてみると’プロパガンダ’というか地域おこしみたいな。男子の場合、進路指導は理系中心だし親戚にもそういう人(トヨタ系に勤める人)がいるもんですから、小学校中学校の頃からバイクや車に興味を持つ子が多いんですよ。
辰巳:なるほどー。文化的に各地域で違いがあるってのはいいことですよね。
川邉:ただ私はその中に属さなかった(笑)。
辰巳:ちなみにお父様は?
川邉:大手のゼネコン関係です、おじいさんの代から。実は父の兄までは東京で生まれたんですけど、関東大震災とともに会社が再編になったんです。祖父はそれに伴って愛知県庁など建設するにあたって技術者として名古屋の方に来た転勤族なんです。
辰巳:大手4社とか言われる・・・
川邉:ま、そうですね。
辰巳:そのあとも名古屋に留まったってことですよね?
川邉:そうです。だから父親も名古屋で生まれました。
私はと言うと普通校を出て、理系ですけど車の関係にも機械系にも電子工学にも行きたくないと思って。
辰巳:それがなぜ東京農大の醸造学部に?酒蔵の後継が行く学校とかそういうイメージがあるんですけど?
川邉:1つ目は’発酵’というものが面白いなと思って。もう1つは化学。物理とか数学より好きだったんで、バケガクが。それで自分の力を活かせられるのかなと。それとどっかに下読みみたいのがあったんです。愛知県は味噌とかみりんとか醤油の会社がたくさんあるじゃないですか?だから万が一間違ってもUターンで帰ったらそういう工場でなんとか・・・。手に職つけとけば男子は食いっぱぐれないっていう高校の進路指導があったもんですから(笑)。
大学に行ってみたら実は酒蔵のあととり達がいて。で「杜氏ってなんなんだ?あーお酒を造るトップの人かー」。そういう職種があることをまったく知らなかった。
辰巳:それまで(お酒)飲んでなかったんですか?
川邉:ちょびっと友達と集まって、ま、舐める程度ですね(笑)
辰巳:それこそ赤玉ポートワインとか飲んでましたからね
川邉:蜂ブドウ酒をファンタで割って・・・
辰巳:修学旅行で見つかって先生に正座させられたり・・・(笑)
いい時代でしたね
(まぁここは時効ということで)
辰巳:で、醸造学科に入って本格的にこの道に進もうと?
川邉:はい。(NHKの朝の連ドラ)「マッサン」の元になった「髭のウィスキー誕生す」っていう本があって。竹鶴政孝さんがスコットランドに行って勉強して日本で初めてウィスキーを造ってっていう。その中で外国人の方と結婚して日本に戻って来る下りがあって。自分が音楽ばっかやってフラフラしてたもんだから父親がこの本を見せてくれたんですよ。私自身ウィスキーはどんなに安酒でも好きだったから、もう読んだらのめり込んでしまって「あ、こういう仕事もあるんだ?」って。
辰巳:外国の女性と結婚したかったとかも?
川邉:それもありましたね、その願望も(笑)。うちの父親は昭和9年生まれで、戦後にアメリカ映画とかジャズとかの影響を受けて青春時代を過ごしたもんですから、中学校時代から名古屋の映画館に連れて行かれて「第三の男」とか「カサブランカ」とか「シェーン」とか「荒野の決闘」とか観て感動して。日本映画よりもアメリカ映画を観て育ったんですね。
辰巳:やっぱり女性は金髪がいいですか?
川邉:やっぱりよかったですね(笑笑)
辰巳:今でも?
(辰巳さんやけに食いつきます)
川邉:海外(NAPA時代)にいた時もおつきあいがなかったかと言われたらそれはウソになりますけど(笑)、いちばん大好きなもの(人)と常に一緒にいたら仕事行かなくなるんじゃないかと(大笑)。
辰巳:ナパ時代は遊んだ?
川邉:遊んだというより「髭のウィスキーを誕生す」の物語を地で行くには、まず外国に行ってお酒造りの技術を学び・・・
辰巳:そして女性を連れて帰ってくる
川邉:それも一つありますね
(笑笑笑)
川邉:この最後の目標は達成できなかったですけど(笑)
辰巳:でもモテたでしょ?その頃もロン毛で?
川邉:これがビミョーなとこなんです。東京農大にはいくつか音楽サークルがあるんですけど、ニューミュージックとかそういう柔らかい洋楽をやってる方達はモテるんですね。(所属していた)軽音楽同好会というのは電気音楽の中でも最右翼なもんですから、パンクロックとかヘビーメタルとかってみんな怖がって寄ってこない。細~い黒~いパンツ履いて(しかも金髪!)ギターケース担いで安全靴履いてる仲間と学校の中闊歩してると、、ま、みんなだいたいよけますね。バブル前、時代的にはポパイとかホットドックとかサーファーとか、そういう爽やか系が主流でしたから。
辰巳:そうですよね、サーファーが市民権を得ていた時代ですよね。
川邉:その中に入るとモーゼの十戒みたいにサーーーっと引いてく(笑)。
辰巳:それでも自分の意思を突っ走ったって感じなんですね?
川邉:1冊の本が自分を変えて、ウィスキーの業界に入りたかったのは確かです。ウィスキー大手さんはなかなか求人がなく、偶然本坊酒造の話を教授が持ってきたとき、「関連会社でここもウィスキーやってるんだよね(マルスウィスキー:現マルス信州蒸留所)」と言われて。”ここの会社はそんなに大きくないから、ウィスキーやりたいって言ったらもしかしたらやらせてくれるかもしれない⭐︎”と思ったんです。それで大手の食品会社も内定してたんですけど、そちらはお断りしてこちらに来たんです。
辰巳:けっこう就職活動はして内定ももらってた?
川邉:あの時はよかったですね、本当に。バブル時代ですからどんな人でも内定3つ4つはもらえていた時期で。(面接)行けば終わりにお土産もらって、牛丼の素とかハンバーグとかいろいろ入ってて、さらに人事の人が手ゼニの金庫で交通費を清算してくれて。もう上げ膳据膳でしたね。
辰巳:こんなこと聞いたらアレですけどニッカとかサントリーは受けたんですか?
川邉:サントリーさんはお酒の方は受けなかったです。内定もらったのは清涼飲料の方の・・・。その当時は(お酒と清涼飲料は)分社でしたから。サントリーとコカ・コーラを秤にかけたときにコカ・コーラの方が(会社の規模が)大きかったから。
辰巳:当時のコカ・コーラは強かったですよね。
川邉:まぁサントリー入ってたら今頃家くらい建ってたのかな(笑)
(話ちょっと飛びます)
辰巳:学生時代にいろいろアルバイトされてて、骨董品をやったりしてたって話を聞きましたが、銭湯でも?
川邉:そうです。骨董品は土日、銭湯は月曜から日曜の夕方から夜やってました。夕方は普通の水道水を温めてボイラーに送るっていう熱交換器が稼働するように水垢を取る仕事をするのが30分。それからいったん家に帰って食事して、お客さんがお風呂終わる頃また出て行って女湯の方からブラシをかけるんです。23時から掃除をしてもいいということになってるのでまだお客さんがいることも(あら~♡)。
こんな福利厚生的な(オイシイ)こともありますけど(笑)、バイト的にも(オイシイ)。1回洗って1500~1700円のお金と食パンとカップラーメンとバナナを「学生さんちゃんと食べなきゃダメだよ」って江戸っ子の番台さんが翌日のご飯として持たしてくれるんですよ。浴槽から窓拭きまで全部終わって(いちばんキレイな)お風呂に入れてトータルで1時間半、それからお茶出してもらって。でもいちばんの福利厚生は、バイトがない時も顔パス(タダ)でお風呂に入れる。当時の入浴料は270円ですから学生にとって毎日タダで風呂に入れるのはありがたかったです。
(学校にも近い豪徳寺の銭湯だったそうです)
辰巳:時代的には(テレビドラマ)「時間ですよ」の頃?
川邉:、は終わった後ですね。その番台のおばさんが話してくれたんですけど、東京都の銭湯が廃れていくから、(銭湯を)盛り上げるためにやった番組で、銭湯組合が補助金みたいな形で番組に出してたらしいんですよ。
辰巳:子供の頃はね、「時間ですよ」観て僕も銭湯行ってましたけど、銭湯の番台に座るってのは夢でしたね。
川邉:夢の夢のまた夢ですよね(2人大頷)
あれはですねー、友達に銭湯でバイトしてるって言うと「番台のバイトかよ?いいなぁ」って言われるんですけど(笑)、番台は基本的に(銭湯のオーナーの)親戚および家族とか、よほどオーナーが信頼した人でないと座れない。セキュリティー上の問題なんですよ。裸が見えるとかそう言うんじゃなくて、銭湯の泥棒’板の場嵐’って言うんですけど、その人たちを常に見張ってなくちゃいけない。何か事件があった時に”バイトでどうなんだ?’ってところがあるんですね。
辰巳:なるほどね。話が面白いからワイン飲むの忘れてました(笑)。今日は赤ワインを持ってきていただいてます。
ワイン登場
高畠ワインクラシック メルロー&カベルネ 2016
ワインを注ぐ川邊さん ロン毛も含めサマになってます
男子トークの後はワインのマヂトークです
川邉:こちらは2016年の「高畠ワインクラシック メルロー&カベルネ」です。3種類のブレンド。89%メルロー、10%カベルネ、わずかな残りがプティ・ヴェールドです。スタイル的にはボルドーの右岸、サンテミリオンとかポムロールのシャトーのセカンドorサードで、価格も前回のデラウェアの「醗泡」と同じ税込1800円です。
辰巳:やっっっすいですね~。これは自社畑じゃない?
川邉:契約栽培です。
辰巳:契約栽培でプティ・ヴェールドも?
川邉:そうです。
辰巳:高畠さん、ほんとにリーズナブルなワインが多いなという印象がありますよね。
川邉:これの兄貴分とか大兄貴分あるんですけど、この商品はそのリザーブクラスと醸造方法としてはまったく差別してないタンクの循環、使う酵母、樽はフレンチオーク、アメリカンオークを使っているんです。その上の方(兄貴分)のブレンドに使えなかったものがどうしても下にブレンドダウンするんですね。年によって上の数量を調整しなければいけない時にこちらが増える。この下があるからこそ上が造れるという。
辰巳:飲み手にとっては楽しいお買い得なワインだと思います、これは。
(ワインを注ぐいい音)
辰巳:いやぁ、いい音しますね。乾杯!
川邉:この価格条件のクラシックシリーズは、メルロー×カベルネの他にシャルドネ、ピノ・ブランがあるんですけど、原価に利益を乗っけた積み上げ的な価格設定ではなく、市場を見た上で、飲食店さんがグラス売りしても利益が取れるようなワインなんです。私がよく行くワインバーでもチリや南仏のワインを600~700円でグラス売りしてるんですけど、それと同じように(我々のワインも)店にも利益が出る市場価格から反映した設定にしてあります。
うちには他に利益率が高い商品もあるので、平均的な利益率では十分勝負できる。飲食店さんが身軽に日本ワインをグラス売りしてもらって、しかも聞き覚えのあるヨーロッパ系品種が日本ワインにもあるんだよ、を伝道したいなと思ってます。これが我々にとっての競争有利性の中でのできることかなぁと。
辰巳:でもメルローは原価高いでしょ、デラウェアより?
川邉:もちろんです。300円/kgオーバーくらい。
辰巳:ある程度の大手じゃないとできませんよね。
今年間本数は何本くらい?
川邉:720ml換算で86万本。200ml、360ml、缶も含めた単純換算で100万本を超えますね。
辰巳:そのうちの日本ワインの割合は?
川邉:全生産量の6割5分、65万本くらいですかね、デラウェア、マスカットベーリーA含めて。
辰巳:私も去年「日本のワインを愛する会」を立ち上げました。
日本のブドウを原料とするいわゆる「日本ワイン」の他に輸入原料で造る「国内製造ワイン」がありますけど、この辺りはどう思われます?今100%日本のブドウじゃなきゃいけないとか、だんだんそういう風潮が濃くなってきているんですけど、その辺の立ち位置はどう思われてますか?
川邉:高畠ワイナリーに関しては日本ワインは6割5分、残りは海外の、主にはオーストラリアですけど、そこの生産者にワインを造っていただいで、日本で詰め替える。(果汁を)ハンガリーから持ってきて国内で醸造することもあります。
「水増ししてるだろ?」って言われることもあるんですけど、もう一つのメリット、次の世代が海外に行ってね、収穫やブレンドに立ち会ったり・・・彼らに新しいインフルエンスをつけることができる。日本ワインに特化するというのは素晴らしい考えなんですけど、度を過ぎてしまって日本だけを、内側だけを見すぎると逆に’ガラパゴス化’してしまう。
私を含め、他の会社の工場長らは80年代から90年代に海外にワインを買い付け(赴任だったり)に行ってたわけですよね。で、今帰ってきて「日本ワイン」になった次のステージに進化・発展・昇華させるということに関しては、次の世代も我々と同じように’海外に行っていただきたい’という意味も含め、外国産原料を使うということも視野に入れるべきだと思います。
辰巳:海外とはネットワークは確保しておいたほうがいいと?あとは安く売れるという意味で日本のワイン市場は、もちろん最高級のワインを紹介するのもいいんですけど、手頃に飲めるワインをあまり非難するべきことじゃないなと思うんです。
いろんなご意見あるでしょうけど、川邉さんの発言は日本のワイン界においてはとても影響力を持つと思いますし。
今”これがやりたい””こうなってほしい”とかありますか?
川邉:”健全なワインをどう造るか”。利益をとるものに関してはEPAを含めて外国産原料のものもあります。一方で限られた日本産ブドウを使った付加価値の高いものを伝えていけるワインもある。消費者にはいろいろ混在する、住み分けた市場の中でお互いが気づきあっていくことで「日本ワインもあるよ」と。日本ワインだけを飲んでください、じゃなく、身の丈にあったムラのない健全なワイン市場がないかなー、っていう。そういう意味ではまだまだやれるべきことはたくさんある、と思います。
辰巳:まだまだ伸びると思いますか?
川邉:はい!
辰巳:まだまだお話伺いたいんですが、今回この辺りで。
辰巳・川邉:ありがとうございました!
株式会社高畠ワイナリー
山形県南部の高畠町に1990年創業のワイナリー。
シャルドネやカベルネなどから造るプレミアムワインから、生産量日本一を誇るデラウェアのカジュアルなワインまで、幅広いアイテムを展開している。
「高畠ワイナリー100年構想」を掲げ、ワインだけでなく、ワインのある暮らしや経験を提供できる「ことづくり」へのワイナリーを目指す。
>> https://www.takahata-winery.jp