
2025年5月のゲストは山形県南陽市、「酒井ワイナリー」の代表取締役、酒井一平さんです。
大学卒業後ほどなく5代目を継いだ一平さん。その学生時代の師匠は業界の有名人、あの人(戸塚酔ったスクール)でした。
(全5回 1回目)
辰巳:5月の木曜日は5回ありますので、今月は5回お話しいただくことになります。ゲストは山形県、以前は赤湯って言ってましたが、今は南陽市になってます「酒井ワイナリー」5代目、酒井一平さんです。
辰巳・酒井:よろしくお願いします!!
辰巳:創業は?
酒井:1892年です。
辰巳:東北地方で最も古いワイナリーなんでしたっけ?明治25年。
酒井:はい。
辰巳:当時1軒しかなかったのに。
酒井:今は山形県内だと20社、東北中だと40社ぐらい。
辰巳:40、まだそんなもん?
酒井:少しづつ増えてきて、もうすぐ50ぐらいですかね。
辰巳:そして今日の収録もプリオホールディングスの西麻布、「エネコ東京」から行なっております。いつも通り総料理長、井村貢シェフにも登場いただいています。
全員:よろしくお願いします!!!
辰巳:まずは乾杯しましょう!
全員:カンパ〜イ🎶
【小姫さん】
http://www.sakai-winery.jp/wine3/03_k-san.htm(←こちらのヴィンテージは2024です)
辰巳:今日はスパークリングです。「小姫さん」というワインですね。”小姫”ってデラウェアのことでしたっけ?
酒井:そうです。赤湯のおじぃちゃんの世代は戦時中で「英語が使えない」。その時デラウェアが敵性語だったので、できれば別の言葉を、と。
辰巳:これは赤湯だけの?
酒井:そうです。
辰巳:その頃ワイナリーは幾つぐらいあったんですか?
酒井:(赤湯は)うちだけだったんですが、その後、例の(戦中の)「酒石酸を取りましょう!」があって免許が乱発されて、一時期は60社ぐらいになったんです。農家さんがブドウを絞って酒石酸を取った残りカスみたいなのを販売してたっていう時代があります。
辰巳:おじぃちゃんの時代、つまり戦前ですね。それが昭和20年で終わって、
酒井:まったく売れなくなって、その戦前戦中の時に作った”とんでもない品質のワイン”が”とんでもなくマズい”という話題になってしまって笑。『赤湯のワインほどマズいものはない』という変なブランドを作ってしまったもんですから、うちを含めて4社ぐらいしか残らなくなってしまった。
辰巳:他は佐藤さん、須藤さん、大浦さんね。そして最近2軒ぐらい増えて?
酒井:山形県内には他にもあるようですけど南陽市内では今6軒です。
井村:口に入れた瞬間にデラウェアの香りが広がって、でもパイナップルのようなちょっとトロピカルな香りもして非常に飲みやすいですね。
辰巳:ちょっと微発泡?ペティヤン?
酒井:いや、それを目指して作ったわけではないんですが多少ガスが残ってる感じもありますね。
辰巳:以前も小姫のスパークリングってなかったでしたっけ?
酒井:あーあります。「小姫の泡」っていう名前で販売してます。今日はあえて泡ではないのを。
辰巳:ヴィンテージが書いてない。
酒井:書いてないんですがこのヴィンテージはおととしの2023年のです。
辰巳:もうちょっと落ちいつかした方がいいかも。
酒井:そうですね。デラウェアは早く飲んでもおいしいですし、最近だと辛口で造って熟成させてもおいしい。
そういう意味で「お土産用ワイン」、の印象が強かったデラウェアですけど、現在は様々なタイプが造られていて、いろんな楽しみ方ができるようになってきたかな。
【ういきょうとズッキーニのヴルーテ】
井村:はい、今回これに合わせたお料理はういきょうとズッキーニを使ったヴルーテです。
辰巳:もう初夏の野菜になってきましたねぇ。色も黄緑色で。
井村:上には少しオレンジを浮かべてありますんで、混ぜて召し上がってください。
辰巳:ズッキーニってあまり味は濃くないんですけど、この甘味はズッキーニですよね?
井村:そうです。ウイキョウは甘味よりも香りが圧倒的に強い。セロリのような清涼感というか・・・。
辰巳:この2つの取り合わせって面白いっすね。
井村:お互い助け合って”一皿(ヒトサラ)になる”。
辰巳:その一皿の’ヒト’が一瞬「人」に思えて「人という字は支え合って(←by金八先生?)」を思い出しましたが違うんですね?笑笑。
酒井:ウイキョウ、しっかり食べたことなかったんですけどすごく美味しい♡ズッキーニの青くて爽やかの香りとデラウェアが噛み合って非常に美味しいなぁと。
辰巳:デラウェアほんと美味しい♡これはおいくらですか?
酒井:2380円ぐらい、です。少しずつオープン価格、になりつつあるので💦
辰巳:昨今の値上がりに合わせて?
酒井:あとはいろんなところに取り扱ってもらえるようになってきましたんで、少しずつそんな形を取りつつある・・・。
辰巳:日本ワインもなかなか売れなかった時代が長くて、でも最近はブティックワイナリーみたいなちっちゃいワイナリーができて、そのワインが「出した瞬間に売り切れる」。という感じにもなってきましたが、酒井ワイナリーはどんな感じですか?
酒井:そうですねぇ。生産量が少ないアイテムに関しては予約で販売している形と、デラウェアやマスカット・ベーリーAは
(契約)農家さんにも作っていただいてますんで、しっかりと量を出せる状況ではあります。
辰巳:力入れてる品種は何なんですか?
酒井:昔からやってるカベルネ・ソーヴィニョン、に加えてデラウェアとマスカット・ベーリーA。やはり100年以上やってる地元の品種は
大事にしていきたいと思ってます。ですけど、最近の温暖化も含めてちょっと新しい品種も導入してる、っという感じです。
辰巳:温暖化も、円安、いろいろな資材からくる価格の高騰からもあって、ワイナリーさんはかなり大変だって話を聞きますけど?
酒井:そ〜ぅです。資材はとことん上がってます。あとは原料ブドウも上がってますし、そういう意味ではワインの値段も少しずつ上がって、海外のワインとの競争も難しくなってるってのが現状ですね。
辰巳:海外のワインも上がってますけどね。一升瓶のワインはどうなんですか?
酒井:ちょっと前まで一升瓶(の瓶)自体が手に入らなくて製品化できなかったんですけど、ようやく少しずつ手に入るようになって、再開してます。
辰巳:地元の皆さんが毎日気軽に飲めるようなワインを造んなくちゃいけないという使命もあるでしょ?
酒井:そうですね。地元の人というより、昔からご愛顧いただいたお客様にです。『*まぜこぜワイン』と言われてるワインは、「テーブルワインとして毎日飲んでます!」というお客様もいらっしゃいますから、一升瓶はそういう方のご要望に応えて。
(*まぜこぜワイン、例えばこんなやつ:http://www.sakai-winery.jp/wine3/02_red1800.htm)
辰巳:ではここでリクエスト曲を聴きたいなと思うんですけど。音楽はお好きですか?元ミュージシャンとか?
酒井:ぜんぜん。大学時代はよく聴いてたってぐらいですね。
辰巳:昔やってた、とか時々そういう(ヴィニュロン)人いるんすよ笑。
酒井:今回は大学で上京したときに聴いてたくるりの「ばらの花」。
辰巳:くるりん?笑。
酒井:いえ、『くるり』っていうバンドです。決してマイナーではないはずなのに笑(←シェフも知らず)
辰巳:オレ、薔薇といえば水原弘の「黒い花びら」とかね(←昭和34年ですって!)のイメージなんですけどね。ま、いいや。
では「ばらの花」、お聴きいただきましょう。
くるり「ばらの花」
https://www.youtube.com/watch?v=baNgL0jFkAs&list=RDbaNgL0jFkAs&start_radio=1
辰巳:くるりんの笑笑?
酒井:”ん”要らないです。
辰巳:そういえば「紅くるり」っていう大根がありましたけど、その”くるり”ですか?笑。
ってすいません、(最近の)音楽に関してはほとんど聴いてないもんで💦ちなみにこの曲はどんな思い出が?
酒井:大学(入学で)上京して初めて買ったアルバム、です。それまで実家にいた頃は「ワイナリーの5代目になるんだ」って、洗脳されて育ってきたんで笑、
辰巳:ん、一人息子?
酒井:いえ、4人兄弟の長男です。下が弟妹、上には姉。「お前が長男なんだからー」ってずっと洗脳されてたんですけど、東京に出て、
辰巳:東京農大?
酒井:そうです。それで上京した時の思い出の曲って感じです。
辰巳:1996年ごろかな。
酒井:1998年ですね。高校卒業して1年留年(浪人?)したんです。
辰巳:でもやっぱりワインの勉強しなくちゃっていうプレッシャーはあったんでしょ?
酒井:プレッシャーはありましたね。っていうか”それ以外の選択肢がなかった”っていうのが正直なところ。
辰巳:お父さんはどんな方?お父さんにはお会いしたことないんですよ。
酒井:うちの父も4代目ってことで、まぁ無理やりやらされたのと、当時はワインがまったく売れない時代だったので、かなり不遇な人生だったんじゃないかなぁと思います。
辰巳:お父さんは早くに亡くなったんですか?
酒井:いや、まだ生きてます笑。でも現役辞めてからはもう長いこと会社の仕事はしてなかったから。
僕が2011年12年ごろ代表取締役になってからは店の方にはほぼ出てこなくなりました。
辰巳:(一平さんが)早くに5代目継いだんで、てっきり早くに亡くなられたんだーと。すいませんっお父さん🙇🙇🙇💦
酒井:父の方こそ影が薄くてスイマセン笑笑。
辰巳:今度会いに行こ♪ まだ70代でしょ?
酒井:76(歳)ぐらいですね。
辰巳:自分は早く足洗って息子に押し付けたと。
酒井:そんな感じですかね。ずーっと売れない時代が続いて、僕が2004年に(東京から)帰ってきた頃から赤ワインブーム白ワインブーム、そして国内のワインが注目浴びるようになって。ようやくうちも売れるようになってきたんで、父の時代からするとはるかに幸せなんじゃないかなと思います。
辰巳:今の(辰巳さんが会長を務める)「日本のワインを愛する会」の前身「日本ワインを愛する会」の発足が2003年、僕が初めて(酒井)ワイナリーに伺ったのは2005年とか2006年とか。その時確かフランスに勉強に行ってたとかで一平さんいなかった。
酒井:いやいや、フランスには行ってないです。ニュージーランドに研修旅行とかその程度です。
辰巳:「うちの後継の期待の星は今海外に勉強に行っていて」、みたいな感じでしたよ。
酒井:いえいえぜんぜん💦
辰巳:”一平くん”とか”一平ちゃん”とか言ってたまだ20代の頃ですねー。
酒井:その研修旅行も1〜2週間ぐらいなので、海外での醸造経験はまったくないです。
辰巳:ワイン造りの先生、師匠は?
酒井:大学在学中は戸塚昭先生に師事してカバン持ちさせていただいたんですけど。
辰巳:へぇぇ!戸塚先生とは今でも?
酒井:最近お会いしてないですね、ま、方向性の違いというか爆。
辰巳:その辺聞きたいな、どの方向性の違いなのか笑。
酒井:自分が随分と歪んでしまったもんですから笑。
辰巳:戸塚先生ってのはものすごいカンペキ主義でクリーンな環境でキチっとしたワインを造っていこうというタイプの人でね。
(説明は)そんな感じでいいですか?
酒井:はい。サニテーションとかしっかりした上での醸造技術で「ハイクオリティなものを目指さなければいけないんだ!」っと在学中から教えていただいたって感じです。その頃から大学卒業後しばらくの間は自分の中に「ワイン感」がなかったんですね。
海外での経験もないし、ワインの知識といっても東京農大の醸造化学科ってとこに院までいたところで、ワインのことを勉強できる時間はかなり少なかったんです。様々な発酵系、味噌から醤油から日本酒から焼酎、味醂・・・
すべてやった上での「ワイン」という一コマだったので。
辰巳:そうだったんですかー。でもどの辺りから師匠から離れて独自の哲学を持つようになったのか?いちばん聞きたいところです。
続きはまた来週伺いたいと思います!
全員:ありがとうございました!!!
News Data
- プリオホールディングスpresents 「辰巳琢郎の日本ワインde乾杯!」
2025年5月1日放送回
- ワイナリー
有限会社酒井ワイナリー
http://www.sakai-winery.jp- 収録会場
エネコ東京
https://eneko.tokyo/