日本のワインを愛する会提供「辰巳琢郎の日本ワインde乾杯!」 2025年10月2日OA

2025年10月のゲストは栃木県足利市、Cfa Backyard Winery醸造家の増子敬公(ますこよしひろ)さんです。
これまで国内数々の醸造家たちにワイン造りを指導してきた「日本のフライングワインメーカー」増子さん。
自慢は「フランスに一度も行ったことがない」こと、だそうです笑。(全5回 1回目)

辰巳:さ、10月になりました。今月は放送が5回あります。いろんなお話をしていただけそうなゲストをお招きいたしました。
増子敬公さんです。

増子:どうもご無沙汰しております、よろしくお願いします。

辰巳:「あれ、’ますこ’さんだったっけ?’ましこさんだったっけ?」っていっつも思うんですけど益子焼は利益の’益’で、増子さんは増えるほうの’増’なんですよね。
今は足利のCfa Backyard Wineryを経営されてますが、日本中のワイナリーの立ち上げにかかわってきたと言っても過言ではありません。
僕が増子さんを一言で紹介するときには「日本のフライングワインメーカーです」と言っています。どうぞよろしくお願いします!
そしていつも通り、井村貢シェフです。この番組最初からお料理作ってくださってる。ぇ、もう6年目?そりゃ年取るはずだ、ゾッとします笑笑。
今日もワインに合わせてお料理を作ってくださってますので、楽しく乾杯しましょう!

全員:カンパ〜イ♪


【BURLESQUE Koshu 2023】
https://www.winemaker.jp/items/56203474

辰巳:白ワイン、香りは「まぁ甲州ですよね」っていう感じ。まだ飲んでませんが、香りだけでも「いい甲州」。

増子:ワイナリーが立ち上がってすぐ、辰巳さんに来ていただいたときに見た畑のブドウです。

辰巳:あの畑って?笑。足利のワイナリーの近く?

増子:そうです。もうグチャグチャの土地で。それから開墾を始めたんです。

辰巳:あれ、平地じゃなかった?もうちょっと山手の方でしたっけ?

増子:「ここが畑になる、ハズです」と言った所ですよ。

辰巳:ワイナリーの立ち上げって何年前でしたっけ?

増子:2002年の立ち上げですんで・・・。

辰巳:ささやきおばさんってごめんなさい。このワイナリーをしっかり支えてるお嬢さんが2人いらっしゃいまして、今日は妹さんの方の和香(のどか)さんにもお越しいただいています。

和香:ささやきで笑、よろしくお願いします。

井村:ワイン製造のいろんな工程を経てもこれだけの香りが残ってるのはすごいなぁと思いました。

辰巳:名前はバーレスクっていうんですか?

増子:どういう意味か?ちょっと長くなっちゃうんですけど。私が自分の畑始めて今年で50年になるんです。作り始めて40年ぐらいの間は、フランスだとかカリフォルニアなんかを真似していけばいいワインが出来ると思ってたんですよ。でも「そうじゃない!」ってわかったのが10年15年前ぐらいで。
(バーレスクの意味はこちら:https://ja.wikipedia.org/wiki/バーレスク

辰巳:それまではトレースしてたんですね?

増子:トレースっていうか、それまでは「ボルドーはどんな樽を使って発酵温度は何度ですよねぇ?」と、日本でもマスカット・ベーリーAなんかで(応用して)やってたんですよ。そのうちに「ぁ、それとおんなじにやっても決していいワインが出来るわけじゃないんだ 」。それをやっと理解できたのがたったそれぐらい前。

辰巳:そうだったんですね。でも増子さんの世代ならそうかもしれません。だって日本にワインがまだなかった時代ですから。

増子:そのころはボルドー、ブルゴーニュを刷り込まれてましたからね。ワインやって40年経って初めて気がつくって「なんか悲しすぎて笑っちゃうよね」ってなりました笑。
そういうところがあったんで、今日持ってきたこのワインのネーミングは僕の代で終わると思いますよ。

辰巳:そういうもんですか?

増子:そんなには長くないですよ。

辰巳:このワインのヴィンテージは2023年ですけど、いつから造ってるんですか?

増子:初収穫は2020年です。今日これから先5回、お持ちするワインはすべて「バイナリー発酵」という2元発酵。酵母も2回入れるんですよ。この香りは1回目の酵母が入ってる香りです。

辰巳:2種類同時に入れてるんですか?

増子:同時に入れるもこともあるし、時間差で4日後に入れることもある。ご存じの”自然派”ってありますよね。あれは最初にいろんな微生物がいてワインが複雑化するんですよっていう、僕も70年代から憧れの醸造法になるんですけど、でも。いろんなところでやってみてもなかなかうまくいかない。
そんな馬鹿なことやらしてくれるワイナリーもそんなにないわけで。それをやってみたくて自分でワイナリー作ったようなもので。

辰巳:そういうコンサルタントとかやってるうちはやりたいことが出来ない、(自分の)実験場を作ろう!と?だって元々は飲料、ラムネ工場だったんですよね?そのほんとに片隅にワイナリーを作った。
最初に行ったときには同じブドウの品種をいろんな酵母で実験してた。「この人変わった人だなー、面白いことしはるなー」が今でもずっと続いてるんですね。

増子:辰巳さん含めてたくさんのお客様いらっしゃるけど、「ここでワイン造ってます!?」みたいなのが笑。つい最近まで看板もなかったし。

辰巳:そのラムネ工場はマルキョーという名前で、そこ自体はクローズしたんですって?残念でしょうがないんですけど。

増子:だから、まず(ワイナリーの)場所はわかんないゎ「こんなとこでワイン造ってる?」とか言われ放題で。近くには有名なココファームさんがあって、

辰巳:ここも増子さんが立ち上げたんですけどね。

増子:でもお客様からは『天国と地獄』と言われるんですよね笑。

辰巳:ちなみにどっちが天国でどっちが地獄?

増子:多分うちが天国かなー、とはとてもじゃないけど言えない笑笑。鉄工所って言ってもいいぐらい。

和香:ほんと町工場だよね笑。

辰巳:そんなとこで造ってるんですよね。でもこれすごいクリアだし、酸味もある。この酸はどうして?

増子:その「バイナリー酵母」も酸をちゃんと作れるのが見つかってきてるんですよ。温暖化で酸がどんどんどんどんなくなってくるので、ヨーロッパ他で、「酸を作れる酵母」も見つかってきてて。「これは乳酸を作る酵母」「これはリンゴ酸を作る酵母系」ってのがちゃんとあるんです。

辰巳:リンゴ酸を作る酵母!?乳酸はわかるんですけど、

増子:リンゴ酸は普通酵母を食べていくはずなんだけど、リンゴ酸を作ってくれるんです。

辰巳:!!!この話をし出すとまだまだ時間かかりそう。今日はかなり時間かかりそうなのは覚悟してたんですが、お料理の紹介をすることも忘れてました。


【茄子のヴルーテ トマトのマリネ添え】

井村:今日はナスのヴルーテです。生姜風味のコンソメジュレと、トマトのマリネを浮かべました。いつもながら砂糖も加えず自然の甘みです。

増子:これ、このワインにとっても合うと思います。

辰巳:逆にワインがキリッと締めるというか、アクセントになってますね。味の方向性は違うけど、すごくバランスが取れてる。
こういうところがシェフの上手なところで。このグリーンは?

井村:バジルです。、甲州との繋ぎで使いました。

辰巳:ではここで増子さんのリクエスト曲を聴きましょう。今月は、だいぶ先輩とはいえ、僕も知ってる曲あるんじゃないかなーと思ってますが(←どうでしょう?)。若い人の曲本当に知らないんすよ。だから今日はなんとなく安心してますが笑。

増子:僕が初めてフランス語を原語と認識した曲なんです。中学校時代。

辰巳:僕は小学校のときかな。シルヴィー・ヴァルタン?

増子:そうです。とても可愛い♡?キレイ♡?

辰巳:好みのタイプ?例えばシルヴィー・ヴァルタンもいればブリジッド・バルドーもいますけど?

増子:僕はそこまでは入れ込まなかったんですけど。この曲を翻訳しようとした友達がいて、でも、フランス語って辞書だけじゃ訳せないでしょ。で、(この曲のタイトル)「アイドルを探せ!」なんて(辞書に)ないじゃねぇ って言ってたその友達が外語大の仏文科に行って商社マンになって最終的にはフランスに行ってしまいました。
今でも電話かかってくるんですけど、「どこにも’アイドル’なんて言葉出てこないんだよね〜」。

辰巳:日本人がわかりやすいように、ぜんぜん違うタイトルつけたこともありましたけどね。原題はなんなんでしょうね?
ちょっと調べますが、ますは曲を聴きましょう
シルヴィー・ヴァルタン「アイドルを探せ」。


SYLVIE VARTAN「LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER(アイドルを探せ)」(1963年)
https://www.youtube.com/watch?v=IP2fTeOm788&list=RDIP2fTeOm788&start_radio=1

辰巳:今原題を調べたらね「La・・・」。『とっても綺麗になって踊りに行くゎ』っていう若い女の子の気持ちを歌った曲みたいです。

井村:知らないす。

辰巳:1964年、’前の’東京オリンピックの年。増子さん中学生、僕は小学生ではなく幼稚園の菊組、年長さんでした爆。昔は年長とか言わず、「おっきぃ組」でしたけど。

増子:昔はレコード高くて買えなかったんですけど、ジャケットのシルヴィー・ヴァルタン見て「こういう人間いるんだ!?」。
どっちかというと’歌’というより’シルヴィー・ヴァルタン’なんです。でもフランス語 。今聴いてもまったくわかんないっすもんね

辰巳:ぁ、あの・・・増子さんはフランスに行って勉強してたとかはなかったんですか?

増子:一つだけ自慢。僕ワインやっててもフランスに一度も足踏み入れたことない (←これは確かに自慢かも)

辰巳:一度も行ったことない?

増子:上は何度も飛んでてトランジットで空港は降りたことありますけど。

辰巳:トランジットしてどこ行ってたんですか!?

増子:イタリアとかベルギーとか。

辰巳:「フランスの思想には毒されないぞ」とか思った?(←フランス嫌いの辰巳さんはちょっと嬉しそうです)

増子:フランスのボルドーのシャトーだとか、ブルゴーニュの有名どころの60〜70年代のワインはほとんど飲んでますけど、でもあの頃のワインって昔はそんなには高くなかった。丸藤の大村さんなんかと一緒に。

辰巳:丸藤の大村さんとは醸造試験場で一緒だったんですってね。

増子:その頃はボーナスが出ると全部はたいて4〜5人で飲んてたんです。1970年代の後半ぐらい、「こういうワイン造れるよね」って。特に僕は甲州とかマスカット・ベーリー・Aでボルドーを超えるワインを造ろうと考えてました。

辰巳:その頃から?

増子:はい。でもそれに辿り着くまで40年かかったんですけど笑。

辰巳:にしてもその初志貫徹はすごいですよ。

増子:「こういうことやってます」ってのは(情報が)入ってきてたし、大村さんはボルドーに留学してるし、もう亡くなられましたけど、協和発酵にいた足立さんって方もガイゼンハイムに行かれてたし。
あの方が存命だったら今の日本ワイン産業もうちょっと変わってるかなって気はします。すごいポテンシャルが高い方でした。
そういういろんな情報を時々「じゃぁそれやってみよう」と思うんですが、基礎的な条件が揃ってない。

辰巳:基礎的な条件?

増子:機械一つ揃ってない。今僕はふんだんに使ってますけど、ドライイーストなんてワイン生産国において日本は一番遅く入ってきたと思います。ですからみなさんが今(自然派ブームで?)”野生酵母”って言ってますけど、あの頃はそれが当たり前だった。それで凌いでなんとか越えようとしてた。だいたいあの頃は苗木も手に入らなかったですからね。サントリーさんの登美の丘へ穂木をもらいに行くなんて当たり前のこと。そういう時代に生きてますから。
やっぱりボルドー・ブルゴーニュは憧れであって真似しちゃいけないんじゃないかな。

辰巳:で、未だに足を踏み入れてないということですね笑笑。

増子:みなさんが海外に行く季節は僕はラムネ作ってたと思うんですよ。で、秋(収穫期)になると日本中を飛び回っちゃってたんで「(フランスへは)行く機会ないな」。
僕が本当に心酔しちゃったのはカリフォルニア。新婚旅行もそうでしたけどカリフォルニアのナパに行ってワインメーカーと話したりしているうちに、「(カリフォルニア大学)デイヴィス校と同じことを日本でもやれれば追いつくのはそんなに時間かかんないよな」っと思いましたね。

辰巳:ちょっと時間切れでカットがかかってしまいました。次回はカリフォルニアや新婚旅行の話を次回伺いたいと思います。

全員:ありがとうございました!!!

News Data

日本のワインを愛する会提供 「辰巳琢郎の日本ワインde乾杯!」

2025年10月2日放送回

ワイナリー

Cfa Backyard Winery
https://www.winemaker.jp

収録会場

収録会場【アネーリ大宮】
https://anelli-omiya.smtk.jp

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